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HASHIMOTO Heihachi, A Retrospective

いま三重県立美術館で「没後90年 橋本平八展」が開催中です。リーフレットのデザインを担当されたB GRAPHIXの日下潤一さんから「彫刻家だった橋本平八は、北園克衛のお兄さんですよ」とうかがい、俄然興味が湧きました。

I visited the special exhibition “HASHIMOTO Heihachi, A Retrospective” in the Mie Prefectural Art Museum. HASHIMOTO Heihachi (1897-1935) was a talented sculptor born in present-day Ise City, Mie prefecture. And his little brother KITAZONO Katué (1902-1978) was a brilliant poet, photographer and designer.

手持ちの本を見返したら、ポートレートのページに「兄橋本平八と(左)と。」とキャプションのある1921年(大正10年)の写真が載っていました。まさにモボ。

北園克衛は、兄の橋本平八とふたり東京で共同生活を送るほど仲がよく、多大な影響と資金面の援助も受けていたことをリーフレットから知りました(リーフレットは店内に置きましたので、どうぞご覧ください。津市出身の伊野孝行さんによるイラストレーションが見応えあります)。

予習を終えて、いざ三重。

津駅で列車を降り、ゆるやかにカーブを描く坂道を上ったところに県立美術館があります。

エントランスに並ぶ柏戸イス(大きな窓の前にもずらりと)のボリュームに目を奪われつつ、会場へ。

橋本平八のデビュー作にして後年「代表的な自分の作品」のひとつに挙げていたという木彫の『猫』(1922年)、奥に見えるのは石膏像。並べて展示されていたので、見比べながら鑑賞しました。飼っていた雌猫がモデルだそうですが、鋭い耳とたたずまいからは気高さや神々しささえ感じます。

橋本平八は古代エジプトの彫刻を好んで研究していたとのこと。エジプトでツタンカーメンの墓が発掘され、世界的な話題になったのは『猫』を発表したのと同じ1922年でした。それまで以上に古代エジプト文明に注目が集まるようになり、当時ヨーロッパのアール・デコのデザインに幅広く取り入れられるなど、まさに流行の最先端だったはずです。

師事していた彫刻家・佐藤朝山がフランスへ派遣されたのも1922年のことですが、翌年起こった関東大震災のために橋本平八はしばらく奈良で過ごし、一度東京に戻ったあと故郷の三重へ帰り制作に励んだそうです。

こちらは日記の一部。一緒に行った母が「字もすごく上手」と感心することしきりでした。

4人の子供に恵まれた橋本平八が子供たちへ向けた扁額「まじめにやれよ」、道具とともに。

その死はあまりに突然だったため、制作途中の木片や参考にしていた石などがそのまま残されています。こうした小さな作品や身の回りにあったものまで90年にわたって大切に保管されてきたことも、彼がいかに敬われ、才能を惜しまれた人だったかを物語っているようです。

個人蔵の作品が多く、貴重な機会を存分に楽しむことができました。