最近お店に初めて来られた学生さんから、話の流れで「ものを所有すること」についてのお考えを興味深くうかがいました。そのとき彼女が放った「写真を撮るのもある意味所有?何かを見た瞬間に思わず写真を撮ってしまうけど、実はそれは身勝手というか、とても暴力的な行為なんじゃないかと考えることがあります」という言葉。
アメリカの作家スーザン・ソンタグによるエッセイ集 On Photography『写真論』が浮かび、思わずおすすめしてしまいました。
I was recently having a conversation with a student at my shop, and when she started talking about photography and acquisition, Susan Sontag’s On Photography suddenly came to mind.

第一章 In Plato’s Cave (プラトンの洞窟にて)にこうあります。
Like a car, a camera is sold as a predatory weapon—one that’s as automated as possible, ready to spring.
ソンタグはカメラを車に例え、いつでも飛びかかる用意のできた武器と位置付けました。また例えに銃を加えた上で、カメラは依存しやすい fantasy-machines(ファンタジー・マシーン)だとも。
彼女にとってシャッターを切るという行為は単なる記録ではなく、少々乱暴な言い方をすると被写体のプライバシーを剥ぎ取り、現実を都合のいい断片に切り刻み、そして被写体を永遠に過去のものとして固定する暴力に近いものに映っていました。
本が最初に出版されたのは1977年ですが、高性能なカメラを備えたスマートフォンが普及した今となっては、常に誰もが武器とファンタジー・マシーンを携えている状態といえますね。ソンタグの先見性にはほんとうに驚かされます。
またユニークなのは、最後の章が A Brief Anthology of Quotations(簡潔な引用集)で締めくくられているところです。引用はジュリア・マーガレット・キャメロンの言葉からはじまり、さまざまな写真家や哲学者、思想家、アーティストたちが写真について残した「声」の数々で構成されています。名探偵ポワロが登場するアガサ・クリスティーの小説の一節や1970年代の広告まで含まれているのでより多面的に捉えられて、まるで時代を超えた人々の証言によるモンタージュのようです。
目の前に広がる光景をカメラで切り取るという行為について、わたしたちがときどき立ち止まって考えることは、今だからこそ必要で大切なのではと思います。自分への戒めを込めて。