初めての北海道。
旅の目的は旭川にある織田憲嗣先生(以後、先生)のご自宅探訪でした。今だからこそ行ってみようと決断して、どきどき(寒波とともに)お邪魔しました。

到着早々、織田ご夫妻とポール・ケアホルムの円形テーブルに着き、温かい紅茶といちごをいただきました。そのときわたしが座ったダイニングチェア《PK 9》は現行品で、先生は「隣がオリジナル。現行品は脚部の素材が新しくステンレスに変わり、サイズが 1.5 cm 大きくなっています。それからほら、オリジナルは脚にサビが出てるでしょう」とご説明くださいました。脚部を眺めたあと実際に腰掛けて比べると、オリジナルはクッション性が若干高いように思いました。
なんの気なく座りましたが、あとから考えるとそれができるのも日頃のメンテナンスあってこそ。とても貴重な機会でした。
そして先生自らおうちのなかをご案内いただき、ところどころで椅子の座り心地を確かめ、さまざまなオブジェや空間を鑑賞しました。吹き抜けになっている大きな窓からの眺めは想像以上で、ひっそりと静かな森のなかをたくさんのイメージとともに旅したような気持ちになります。
「いろんな鳥たち、エゾユキウサギやエゾリス、春には鹿もやってくるんですよ」とのこと。「胡桃を剥いて渡してやると、こうやって食べるんです」と、食事中のエゾリスの画像を拝見して、ふいにドリトル先生が頭に浮かびました。
デンマークの名だたるデザイナーたちと1980年代から実際に始まった交流、彼らの自邸を訪れたエピソードについても伺うことができました。「ナンナ・ディッツェル(Nanna・Ditzel)の家はストロイエの裏にあって、建物一棟の中に自宅もアトリエもね」などとお話しいただくと、先生の大切な記憶をすこし共有できるように思いました(昨年11月に歩いたストロイエ近辺の通りを思い出しながら)。

「自分はデンマークで落穂拾いをしてきたんだ」と、ぽつりとおっしゃった言葉がとても印象に残っています。
1980年代当時、デンマーク国内でも顧みられていなかった家具(それらに関する書籍や雑誌類も)をご自分の目と足で発見し、それまでの経験と勘から「やっぱりこれはどう考えてもすごい!」と、苦心しつつ大切に集めて来られた結晶が、いま旭川にあるのだと思いました。そこには50年以上にわたる一番のよき理解者、奥さまが傍らにいらっしゃることがどんなに心強かったかも想像に難くありません。
今も精力的に国内外の講演や地元での活動をこなされている様子を間近に拝見し、先生も静かな炎のランナーなのだと実感しています。