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Textiles & Objects

Vivere il Tempo: Design Italiano 1

調べものをしているとき、ウンベルトラボの棚で見つけた佐藤和子著『「時」に生きるイタリア・デザイン』三田出版会、1995年発行です。

以前、北欧デザインについての本を2冊ご紹介しましたが、今回はこの本を通じてイタリアの工業デザインについての歴史を振り返りたいと思います。長くなるので3回に分けます。

1.1930年代

わたしにとって未知の国イタリアのデザインは「独創的で力強い」という印象がずっとあります。

筆者はその独特なデザインについて「イタリアの社会構造とも、昔からお互いに強い影響を与え合いながら歩んできた芸術と政治のありようとも関わっている」とし、第二次世界大戦後に開花したイタリアのデザインは、1930年代のファシズム体制下に培われたと指摘しています。

近代建築・近代産業・装飾美術に関する国際展としてはじまり、現在も続くミラノ・トリエンナーレ。1933年にミラノで初めて開催された時の会長がファシスト機関紙の経営者だったのに対して、ディレクターにはジオ・ポンティが起用されました。彼はイタリアを代表するアルキテクト・デザイナー(建築の設計だけではなく、内部空間の設計やインテリアの細部まで担うデザイナー)であり、月刊誌『DOMUS』(1928年創刊)の初代編集長でもありました。ウンベルトラボの本棚にある『DOMUS』は1950年代から60年代にかけてが中心ですが、建築とデザインについてのまさに教科書のような存在です。

最初のミラノ・トリエンナーレには、ジオ・ポンティたちのはたらきかけが功を奏してモダンデザインの歴史を語る上で欠かせない11人が海外から招待されました。「反ファシスト的」と受けとめられたことで「国際的なミラノ・トリエンナーレ」という評価がそこで定着します。次の1936年からは、スウェーデンやフィンランドも参加。アイノ・アアルトによるガラス製品が金賞を受賞したのもこのときです。余談になりますが、特にフィンランドでいうと、アルヴァとアイノ・アアルト夫妻(やはりアルキテクト・デザイナーですね)が革新的な家具やガラス製品を次々と生み出した1930年代は「デザインの第一黄金期」と位置付けられています。

いまちょうどミラノでは第23回のトリエンナーレが開催中です。今年のテーマは「Unknown Unknowns. An Introduction to Mysteries(未知の未知-謎への導入)」、異次元の体験を期待してしまうタイトル。

話を1930年代に戻すと、イタリアでは職人的手工芸から工業化へと発展していった時代でした。自動車のフィアットやタイプライターのオリヴェッティといった大企業、家具・照明器具などの中小企業も、ほとんどが北イタリアに集中していて、若い建築家やデザイナーとともに活発に動いていました。とりわけ上述したジオ・ポンティは重要な存在です。

1930年代のファシズム体制下においても近代化への芽を育てられたのは、ミラノを中心とする北イタリアに上記のそれぞれが存在し、うまく機能したことによるものだと筆者は述べています。

大切なのは、優秀なデザイナーたちの存在。そして彼らと会話しながら仕事を考え、文化を理解できる企業家の存在。そこで生まれた新しいデザインの提案を発表できる場所(ミラノ・トリエンナーレなど)が継続してあること。それらを世の中に発信していく文化的メディア(としての雑誌『ドムス』や『カサベラ』)、全ての連携ですね。

媒体などはちがっても、それは現代に通じているように思います。

2. 1940〜1960年代へとつづく。なお、不定期連載ですのであしからず ✒︎