Umwelt

Textiles & Objects

The study abroad journal of Nordic design:1957-1958

ウンベルト・ラボの本棚で見つけた藤川宏允著『北欧デザイン留学日記』。1957年9月から翌年5月まで、スウェーデン・ストックホルムにあるコンストファック(現 スウェーデン国立美術工芸デザイン大学)に留学した日々と卒業後のひとり旅などが手紙のかたちで綴られています。

港町 Helsingborg (ヘルシンボリ)での重要な展示会「H55」が開催されて、わずか2年後のデザイン大国スウェーデン。

当時の日本に対して、「欧米先進国は神経をとがらせていた」ようです。なぜなら、それらのあらゆる模倣品を数多く製造し、輸出までしていたから。確かに、別の本でも Stig Lindberg (スティグ・リンドベリ)が来日したとき「自分のコピー商品が堂々と飾られていた」という内容を目にしたことがあります(リンドベリは本書に、陶磁器科の「リンドベリイ教授」として登場します)。

社会人としてジェトロからの留学生になった藤川さんには、日本の「グッドデザイン」をスウェーデンやデンマークに紹介する大切な任務(産業意匠の改善に関する調査研究)もありました。

コペンハーゲンの老舗デパートで日本展を開催すると大盛況の反面、問題もあらわに。日本側が選定した商品について、藤川さんは「竹製品の少ないことがいちばん惜しまれる」とか「扇子の少ないこと」、「刃物類が皆無であること」、「北欧人の好みにぴったりとくる日本の東北のおもちゃが皆無であること」など苦言を呈しています。

私の強くいいたいことは、デンマークやスウェーデンでいう美術工芸品とは、何も日本のデパート美術品売場に並んでいるものを指しているのではありません。グッドデザインであれば、すべて、家庭用品であれ、おもちゃであれ、筆(これも一本もなかった)であれ、美術工芸品なのです。

藤川宏允『北欧デザイン留学日記』

1950年代の日本で、こうした視点を持っていた人は、ほんとうに限られた一部だったと想像がつきます(現在の日本デザインコミッティーの前身、国際デザインコミッティーの創立は1953年)。だからこそ藤川さんの日記は、ほとんど情報のなかった当時の北欧の生活や文化をとても分かりやすく、楽しく読めるようによく工夫されていると思いました。

意外にも本書の出版は1990年になってから。それでもまだ、北欧デザインが日本に広く浸透する以前ですね(スウェーデン語の綴り間違いが多いのは気になりますが、内容の重要性からすると瑣末なことのように思えます)。

何より驚くのは、使命を担った藤川さんの留学から半世紀あまりが経過し、日本に住むわたしたちが、手工芸品から工業製品に至るまで、いくらでも世界のグッドデザインを手に入れられるようになった(デザインにかんする倫理も含めた)状況の変化です。これまでのさまざまな尽力について、ひきつづき調べたいと思います。

クリスマス・マーケットの準備やクラス旅行の記述は、わたしもデンマークに留学していた当時を思いながら読みました。情報がないので右往左往、どきどきという経験も、なんだか他人事ではないエピソードです。

追記

昨日の夕方、デンマークのコペンハーゲン郊外にあるショッピングセンターで銃撃事件が起こりました。数名が亡くなり、重体の方も出ています。この場を借りて、深く哀悼の意を表します。