Umwelt

Textiles & Objects

珍品堂主人

「珍品堂」。興味をひかれるその屋号は、小説『珍品堂主人』主人公のモデルである秦秀雄(1898 – 1980)が実際に用いていたものです。

古美術の世界に足を踏み入れると、どうしても避けては通れない人物や出来事を知ることになります。秦秀雄も、そのなかのひとりだと思います。

わたしは食わず嫌いな性分からか、これまで読まずにいました。が、友人とひさしぶりに骨董談義をしたことをきっかけに、手に取りました。

今よりずっと閉ざされていた古美術や骨董の世界。『珍品堂主人』を書いた井伏鱒二も、その世界を垣間見ていたのだと思いますが、画家の硲伊之助から秦秀雄を紹介されて彼を知り、小説を書くにいたったそうです。
主人公、加納夏麿は五十七歳。中学教師を辞めて、骨董を扱いながら夫婦で温泉旅館の支配人をしています。古いもの、なかでもいわゆる「掘出しもの」を探し当てることにかけては仲間うちで評判です。けれど、その仲間うち(モデルはそれぞれ著名な人物や骨董商)がまた輪をかけて曲者ぞろいで、まさに「狐と狸の化かし合い」を読者であるわたしはあっけに取られながら読みすすめました。
「いいものがある」と噂を聞けば、相手を出し抜いて我がものにしようと躍起になるさまや偽物と分かっていても言わずに売ってしまう様子には、思わず「倫理観どこー?」と叫びたくなるのですが、そんなのお構いなし。
すこし乱暴にいうと結局、たとえそれが偽物だったとしても、欲しい人が納得して手に入れたのであれば、めでたしめでたし。という自己完結した世界でもあるのだと思います。ただそこでどうしても、他人に見せたい、見せてなんらかの感想(おもに称賛や賛同)を聞きたいという欲求が出てきてしまうところは、昔も今も変わらないという印象を受けました。
とはいえ、この小説の登場人物はみな、それぞれの古物愛や美に対して貪欲で、頑ななまでに追求する姿勢のあるところが救いです。そこは、ギャンブルや単なる投機対象として骨董を捉えている人々と決定的に違うため、最後まで楽しく読むことができました。すべて井伏鱒二の筆によるものですね。
また、巻末にある白洲正子のエッセイのなかの言葉「正札つきの真物より、偽物かもしれない美の方が、どれ程人をひきつけることか」には違和感を覚えたのですが、そこを通った人にしか分からないぞくぞくするような「何か」があるのかな。
これからも折に触れて読み返したいと思います。
余談ですが、この文庫本の表紙のお皿は、硲伊之助による九谷焼(1966年)です。なに、この珍しい図柄!と、どきっとしたら、さほど古くはないものでした。