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Textiles & Objects

Beuys  

先日、京都シネマで上映されているアンドレス・ファイエル監督作品『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』を観てきました。

I watched a movie ‘Beuys’ directed by Andres Veiel last day. And then I reconsider about Josef Beuys and his spirit.




























































わたしはこれまで、展覧会、作品集、評伝雑誌などでしかボイスに触れてこなかったのですが、この(未発表を含むドキュメンタリー映像と関係者のインタヴューで構成されている)映画により、改めてボイスが、マルセル・デュシャンやアンディ・ウォーホルに比肩しうる20世紀の重要なアーティストであったことを確認することができました。


以下では、動画共有サイトの映像も交えたボイスの簡単な紹介と映画から感じたことをお伝えできればと考えています。いつもより分量多めです。




ヨーゼフ・ボイス(1921−1986)、フェルト帽とフィッシャーマンズ・ベストがトレードマークのドイツ人アーティスト。


1984年には来日したこともあり、展覧会のみならず、テレビ CM にも出演しました。





ボイスが彫刻やインスタレーションで使用するおもな素材は「脂肪」と「フェルト」。


椅子の座面に脂肪の塊がどっさり置かれていたり、グランドピアノの全体が分厚いフェルトで覆われ、そこに赤十字のマークがあしらわれているものなど既成の枠組みにとらわれない自由な発想に基づいて制作されています。


同様にパフォーマンスでは、死んだウサギに作品の説明をするといった行為や、あるいは後に米国でおこなわれたものでは、全身フェルトに包まれたまま救急車で運ばれた先で(アメリカ先住民と見做された)コヨーテと出会い数日間をともに過ごすなど。


このようなボイスの作品をわたしたちはどう受け止めればよいのでしょう。





これまでの芸術のあり方に異を唱え、それを実践したボイスですが、さらには美術館を飛び出し、様々な人々と積極的に「対話」をおこなって、自らの考える「芸術」による民主主義を目指しました。そうしたことのすべてがボイスの思い描く「芸術」の姿なのです。


しかしヨーロッパと違って、1984年当時の日本ではボイスの噂だけが先行していたため、作品やパフォーマンスの意図を誰もが理解できていたわけではなく、ボイスが望むような「対話」はあまりなされなかったようです。


それではボイスは「芸術」を具体的にどのようなものと考えていたのでしょうか。

これらのことを理解するために、当時の日本の状況を振り返る展覧会『Beuys in Japan:ボイスがいた8日間』を紹介するテレビ番組の動画を参照してみます。 


ボイスは「社会彫刻」という概念を提唱しました。


映画のパンフレットによるなら、「どんな人間も自らの創造性を用い未来に向けて社会を彫刻することができる」という呼びかけ。「従来の彫刻や建築、絵画、音楽などの区分けを飛び越え、あらゆる人がアーティストであり、目に見えない本質を具体的な姿へと変えていく力を持っているし、社会のために行動すべき」だとするボイスは、「芸術」がもっとも重要であると考えていたのです。


わたしたちは、そのことに後になってようやく気づいたのでした。


けれども、果たして現在においてボイスの「芸術」は彼の思惑どおりに受け止められていると言えるのでしょうか。わたしの見るところでは、トリックスターでもあったボイスの思想とイメージの力は、作品から剥奪され(忘却され)、職人的な服装、オブジェ、インスタレーションは記号と化し、消費の対象(あるいは投機の対象)へと成り下がっているように思われるのです(例えば、ボイスが制作する魅力的なマルチプル作品は、既製品を使用しています。そうした素材の選択は作品の量産を可能とします。作品に流動性をもたせることで目に触れる機会を増やすことを狙いとしているのです。所有のためではありません)。


仮にそうだとしたら、結局のところ1984年と状況はあまり変わっていないことになります(良くも悪くもそうした受容のあり方は、ボイスに限ったことではなく、他の作家の作品にも共通することではありますが)。

ならば、ボイスはどうして「芸術」へと駆り立てられていたのか、その理由を知ることが彼の作品とかかわる上でとても重要なポイントになります。















































































フェルト帽に守られた頭部の傷

実のところボイスは、何度も死に直面する経験飛行機の墜落事故による頭蓋骨の骨折、2年間にわたる重度のうつ病、心臓発作による危篤状態)をしており、そのことが彼のアーティストとしての生涯に重要な影響を与えていたのです


若い頃に戦争で大きな「傷=痛み」を負ったボイスはトラウマを抱えていました。


監督のアンドレス・ファイエルは(映画のなかで重要なボイスの作品として位置づけられている)「汝の傷を見せよ」というインスタレーションについて次のように述べています。「自分の傷を見つめ、それに対処することで、ステレオタイプの効率性や行動、自分勝手な見通し、共通の欠如を超えた世界が見えるんです。ボイスは、傷口を隠すのではなく、共感を再生し、再形成すべきだと訴えているんです。共に行動を起こして、自分たちの傷に対処するべきなんです。だから”汝の傷を見せよ”となるのです」。


今日においても「傷」は有効かつ普遍性のあるテーマだと思います。


そしてさらに注目すべきは、「拡大された芸術概念」によってボイスが、資本主義、共産主義を超えた社会を生み出し、新しい経済を立ち上げ、別の金融体系をつくることを目的として掲げていたことです。












































































一輪の薔薇をメスシリンダーに活けて「対話」するボイス 



いままさに、わたしたちは資本主義の限界と仮想通貨という新たなシステムの台頭を迎えようとしています。こうした時代の転換点に、もしボイスが生きていたとしたら何と言うでしょう。


一人ひとりが「芸術家」として社会の変革を試みる(様々な職業の人々がそれぞれのやり方で変化のプロセスにかかわる)ことが大切であり、そしていまがその絶好の機会である。彼は「対話」を通じて、そのようにわたしたちを「挑発」し続けているに違いありません。