Umwelt

Textiles & Objects

Nordic design travelogue

ウンベルト・ラボの本棚から拝借した芳武茂介著『北欧デザイン紀行』。出版は1960年です。

「産業工芸試験所」という国の機関に勤めていた芳武さんは、1956年の日本デザイナークラフトマン協会創設(のちの日本クラフトデザイン協会、2021年に解散)に深くかかわり、翌年の1957年9月から1958年にかけてヨーロッパを旅します。

実は、すこし前にご紹介した藤川宏允著『北欧デザイン留学日記』のなかにも芳武さんは登場しています。おふたりの北欧滞在期間はほぼおなじで、藤川さんはスウェーデン、芳武さんはフィンランドに軸足を置かれていました。同時期に北欧デザインに直に触れるための渡航。立場はちがえど、目的意識はかなり共有されていたように思います。

本書のタイトルは『北欧デザイン紀行』ですが、旅のはじまりはイタリアから。なぜ?と思いながら読み進めると、その目的が第11回ミラノ・トリエンナーレの視察にあったことが分かります。

芳武さんによると、「私も、また誰もが一番よいと思ったのは、予想通りフィンランドで」、「スエーデンもその次位立派です」。「地元イタリアのムラノガラスは圧巻で、ドギモを抜かれました」とのこと。

長い歴史に培われたイタリアのさまざまなデザインが確固たる地位を築いているのは当然としても、当時まだ独立から50年も経っていなかったフィンランドのクラフトデザインがいかに優れているかについて考察しています。また、ミラノ・トリエンナーレに初参加だった日本については「日本デザインは今度を契機としてさらにヨーロッパで期待されるだろうと痛感しました」と記されています。柳宗理によるバタフライスツールが金賞を受賞したのはこのときでした。

さて、イタリア視察を無事に終えて、フィンランドへ。まず空港に降り立ったときの気候のちがいに驚かれています。9月も半ばを過ぎると北欧ではもう初秋、そして滞在は翌年の3月まで。自らも「工芸家」だった芳武さんはその間、マイナス30℃の極寒を体験しながら、ガラス工場や美術・工芸学校などを見学してまわりました。それぞれの詳細なレポートは読みごたえがあります。

フィンランドでは好意的に迎えられたものの、スウェーデンに渡って陶磁器工場の見学を申し出ると、なかなか受け入れてもらえません。ここでも当時の日本のデザイン盗用問題が槍玉にあがるのです。

私も日本人のひとりであり、物を創り出す側のひとりでもある。さらにわれわれは永年この仕事に携わってきたのであるが、非力である上に不十分であったため、現に発生しつつある国際間の悲しむべき不祥事にかかわる重大性を、改めて反省しないわけには行かなかった、国際的に見れば、不法行為たるデザイン盗用こそ、戦争につながるのではないかと思えた。

芳武茂介『北欧デザイン紀行』

国際的に大きな問題となっていたデザイン盗用と輸出。日本でデザインの意義が見直され、この問題が解決されるにいたった過程について、今後もっと詳しく調べたいと思います。

ひとりの「工芸家」としての芳武さんは、スウェーデンのデザイナーや工芸協会の面々ともよく交流されています。コンストファック見学時には、Stig Lindberg (本書ではステック・リンドベルグ氏)が登場。「北欧人のうちで、スエーデン人に最も気取り屋が多いと聞いたが、リンドベルグ氏からはいささかもそんな気配は感じられなかった」。

その後北欧を離れ、ヨーロッパ各国で美術やデザインに関する見聞を深めます。が、周遊中に北欧で見た作品に再会すると「魚が水を得たように私の気持となじんでしまうのである」と記すほど、北欧のモダンデザインに愛着を覚えられていたようです。それはいまの日本に北欧デザインが広く受け入れられ、定着したことと直結する感覚だったのではないかと思います。

日本帰国後は国の機関を辞し、クラフトデザイナーとして、また、教育者として活躍された芳武さん。洒脱かつ洗練された感性を十分に発揮して、世界のさまざまなデザインを見渡し、日本の立ち位置と戦略を冷静に分析されていた印象を受けました。

本書の魅力は、ともに旅をしているような気分になる文章だけでなく、掲載写真の豊富さとご自身による魅力的な街のスケッチにもあります。残念ながら絶版ですので、どこかで見かけられた折には、ぜひ手にとっていただきたい一冊です。

表紙の写真からおよそ65年後のコペンハーゲン ニューハウン