Umwelt

Textiles & Objects

Sagamen

東京では骨董市にも行きました。

少し古いお面が目に留まり、その特徴的な顔つきから京都の「嵯峨面」だと思い手に取りました。

調べてみると嵯峨面は、昭和の初めに一旦途絶えており、戦後すぐに藤原孚石という方によって復活したらしいのです。そして現在は、そのご子息(先代と同名の孚石さん)が制作されていることを知りました。

そこで、先日わたしは自分が見つけたお面がいつごろ作られたものかを伺うべく、嵯峨にある工房を訪ねました。

孚石さんは、日本画家として仕事をされながら、嵯峨面づくりを引き継がれています。お父様が復興された当初、数種類のみだったお面の数は徐々に増え、今は30種近くをつくられているそうです。

わたしが持参したお面をご覧になった孚石さんは、「これは稚児の面で、父がつくったものです。昭和50年前後やと思います」と教えてくださいました。というのも、稚児面は嵯峨釈迦堂で毎年4月8日に行われる花まつりの行列の稚児をモチーフとしており、昭和40年代に孚石さんのお父様がオリジナルでつくられたとのこと。

また、先代のお面はどれもつくりが薄手なのだそうです。そのためか、わたしのお面はくるっと内側に丸まっていたので、直し方も伝授していただきました。

帰宅するなり、わたしは教わったとおり薬缶に湯を沸かし、湯気にそっと稚児面を近づけてみました。すると細かった顔がふっくらと膨らみ、元のかわいらしいお顔のかたちに戻ったのです。

その表情は、孚石さんと一緒にわたしを出迎えてくれたお孫さんになんだか似ていて、ひとり思わず微笑んでしまいました。