Umwelt

Textiles & Objects

yakan / kettle

それと出会ったのはおよそ8年前、とある台湾料理店のカウンターの上でした。

よくある日本の丸っこいものとは違っていて、すこし面長で、しゅっと伸びた注ぎ口、機能的でどことなく気品さえ漂うその独特なかたちに、わたしは一瞬にして心を奪われてしまったのです。

その意味では、日本語のやかんよりも「ケトル」と呼ぶほうがふさわしいのかもしれません。けれど、美しいかたちをしているのにもかかわらず、それをひけらかすことなくお客さまのために身を粉にして働いている。そんな庶民的な姿に思わず「やかん」と親しみを込めて呼びたくなるのでした。

わたしは、早速お店のおばさんにそのやかんを譲っていただけないかと交渉を試みたのですが、「いま使っているからねぇ、新婚のお祝いに昔もらったものだし。まだどこかに売ってるかもね」と体よく断られてしまいました。。。

実は、そう思ったのは私だけではなかったのです。

お店で食事するたびに、いつか譲っていただけないかしらと思いつつ、いつもいつもその美しさにため息をもらしていました。そんなある日のこと、「これを欲しいという人が他にもいたよ」とおばさんに言われて、どきりとしました。わたしのお気に入りが狙われている!一抹の不安がよぎりました。でも、いつもと変わらずやかんはカウンターの上とテーブルを忙しく行き来していたのです。

その時わたしは思いました。このやかんの美しさを独占してはいけないのだと。たとえ手に入れられなくてもここに来ればいつでも見ることができるのだから。わたしは、諦めにも似た悟りを開いたのでした。

とはいうものの、後日、憧れのやかんにとても似たものが北欧の古いケトルに存在することを知りました。そして、その初期型を手に入れることができたのですが、持ち手の部分が金属なので火にかけると熱くなるという欠点がありました(後期型はこのやかんと同様の改良が加えられ、内側が耐熱樹脂になります)。

もしかすると、北欧のものに似せてこちらのほうが後からつくられたのではないかと言う方もいらっしゃるでしょう。しかしそれでもいいのです。わたしが最初に出会ったのはこのやかんなのですから。その出会いを大切にしたいのです。

残念なことに現在台湾料理のお店は営業されていませんが、やかんとの思い出の日々はいつまでもわたしの心に残っています。。。

そして昨日、料理屋のおばさんがウンベルトに来てくださいました。随分と会っていなかったのでびっくりしたのですが、わたしがあのやかんが大好きだったことを憶えていてくれて、「もう使わないからあげるよ。開店のお祝い」と言ってくれたのです。わたしは一瞬耳を疑いましたが、目をぱちくりさせて一目散におばさんの家まで取りに伺ったのは言うまでもありません。

ありがとう、青葉!